迷うなら転職すべきではないのか

迷い

迷うからこそ転職する

迷うなら転職しない。

と転職について結論付けるとする。だがそれは間違いだ。

逆に迷いがない場合、転職を思い留まった方が好いかもしれない。

意味するところはこうだ。

迷うのは当然のこと

転職は人生の一大事。迷いが生じないはずはない。むしろ迷いが生じない方が不自然だ。

迷いが生じないのなら、今のあなたに、見えていないことがありはしないかと疑った方が好いだろう。

「会議で全員が一致で賛成したらそれは正しい判断では無い」とし、考え直すという方法論があるくらいなのだ。

会議と個人の意思決定で、全く同じとは言わないが、死角がないか疑った方が良いという点は共通しているだろう。

正しいり方

迷いの中で正しく判断を下し、心は揺らぎながらも踏ん切りを付けるというのが正しい在り方ではないか。

考えても見て欲しい。新しい会社で、新しい職場、そして新しい仲間。

同業他社であったとしても組織文化は微妙に異なる。

これまでの当たり前が当たり前では無かったり、新しい当たり前が出てくるだろう。

上手くやっていけるかどうか。

根っからの楽天家なら迷いは生じないかもしれないが、健全なる懐疑心かいぎしんがあれば、多少なりとも迷いや不安は生ずる。

その迷いや不安を恐れ、忌避きひしたら、新たな一歩は決して踏み出せない。

原点

以前、電車の中の広告で

結婚は新しい人生の1ページのはじまり

といったキャッチコピーを見てはたと気付いた。

転職も結婚と同様に、新たな人生のはじまりだ。

そこに迷いが生じるのは当然だ、当たり前なのだ。

あなたは何故、結婚しようと思ったのか、何故、転職しようと思ったのかという原点に立ち返ること。

不毛なループ

御膳立てを整えて、単に迷いがあるという理由で、ひるみ、反古ほごにしてしまうのなら再び、結婚しよう、転職しようと思っても同じことを繰り返すだろう。

それは結婚相手、ここでは転職先の問題では無く、あなた自身の問題だからだ。

思い留まる理由

結婚も、転職も、思い留まる場合があるとすれば、迷いがあるというのでは無く、結婚そのものを、転職そのものを思い留まる直接的な理由がある場合だ。

合理的な理由でも良いし、信ずるに値する直観的な理由でも良い。だが、ただ迷いがあるというのは正当な理由とは言えない。

重大な決断の前には必ず迷いはあるし、迷うという理由で決断しないのは、単なる逃げを意味することなのだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする