周りの言葉が気になったら|評論家の言葉には耳を貸すな

勝手なことを言う

何もしない奴に限って口数が多い。

きちんと論理立った説明ならば、傾聴に値するかもしれない。

考える糸口になり得るからだ。

だが、前提条件が曖昧あいまいで、単に言いたいことを言っているだけの発言が多い。

そんな言葉には耳を貸す必要は無い。

ただでさえ転職活動中というものは心がざわめくもの。

くだらない言葉で心を掻き乱されるのはご免だろう。

雑音はシャットアウト

生活環境、在職中なら職場環境、メディアなど心を乱す言葉は様々なところに蔓延はびこっている。

下世話な世間話なら聞き流すこともできるだろうが、まことしやかに語る評論家の言葉には心を乱されるかもしれない。

評論家(マスメディア一般)

くだらない言葉の例を挙げてお話ししよう。

転職35歳限界説

まことしやかに言われているようだが、35歳以上で転職しているものは山ほどいる。

35歳に限界はない。

かつては転職30歳限界説なんて言われていたこともあった。

転職が今ほどメジャーではない時代だ。

有利に転職できるのが35歳なのか。

40歳でも50歳でも有利な転職ができる人材はいる。

それなのに「何が言いたいのだ」ということになる。

「誰に」「何を」伝えたいかである。

誰のための「転職35歳限界説」なのか

転職は個人的なものだ。

これは「考えて転職」で一貫して前提としている。本来ならば当たり前の話なのだ。

従って一般的傾向を論じても、個人には役に立たない。

この手の評論家は語る相手を間違っている。

聞くに相応ふさわしそうな相手がいるとすれば政治家や学者らだろう。

現代の社会的傾向を分析して政策を考えるのには役に立つかもしれない。

それを一般に向けて発信している。

これは余程よほどの馬鹿か、阿呆あほうか、愚か者か。

いずれにせよ人を不安に陥れるのが好きな下賤げせんということになる。

下賤げせんの言葉に耳を傾ける必要は無いのだが、最近とみに増えた。

WEBが普及したせいか、執筆者ライターへのハードルがあまりに低くなり、メディアは倫理観の欠落した状態モラルハザードに陥っている。

無暗に人の生存にかかわる不安を呼び起こす

仕事、こと生業なりわいのことで人を不安に陥れるような言説は差し控えてもらいたいものだ。

35歳を過ぎて、転職しなければならない境遇になった人に死ねとでも言いたいのだろうか。

35歳を過ぎても転職に成功している人は居る。

59歳で転職し、幸せに働いている人を知っている。

「転職35歳限界説」については、全く以って意味不明だし不愉快なことこの上ない。

この手の言説は一切無視して差し支えない。

いや、差し支えないどころか無視すべきだ。

同僚(生活環境)

転職する勇気の無い奴に限って、転職を止めようとする。

どこに行っても同じだよ。

言葉巧みに引き留めようとする。

一度も転職したことがないのにもかかわらずだ。

行動を起こす勇気の無い奴の言うことを聞いてはいけない。

あなたも同じ穴のむじなになってしまう。

転職や退職の話を、決定する前に同僚と話すことは感心しないが、職場によっては、日常的に転職の話題が口にされる。そう、平気で口にできる時点で、腐った職場だ。

退職すべき会社とは、案外とそんなものだ。

たとえそのような会社にいたとしても、同僚には、転職や退職の話は冗談程度に留めた方が良い。

真剣に語ると彼奴きゃつらのスイッチが切り替わり、思わぬしっぺ返しを受けることも考えられる。

無能な奴らの嫉妬とは怖いものなのだ。

だから転職や退職は決まってから伝えること。

井の中の蛙

井の中の蛙大海を知らず。

そんな奴らに限って会社に縋分すがり付くように寄生している。

転職すべき時期というものはある

故P・F・ドラッカーの言葉で、組織を辞める正しい時期について

組織が腐っているとき、自分がふさわしい地位や立場にいないと感じたとき、あるいは成果が認められないとき日経BP社のメールマガジン 2014年3月12日号)とある。

見切り千両

見込みの無いもの、期待のできないものにいつまでも固執して留まるのは悧巧りこうではない。

組織が腐っていても、やり様があり、あなたが会社を動かせる立場なら、変革を試みるのも1つの英断だろう。

一方で、あなたが会社を動かせる立場にないのなら、消化試合をいつまでも続けるのは時間の無駄だ。

人生を消耗してはいけない。

見切りをさっさとつけてて早々に転職すべきだ。

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